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死ぬまで、やります

小説003 / 三話


いつの間にか、空を見ていた。
前日の雨に打たれた公園の地面はぬかるんでいて、彼女から借りた服が土によって汚れている。
隣を見ると、高校生の彼も仰向けに大の字になって空を仰いでいる。
彼はいつの間にかブレザーを脱ぎ捨ていた。
「あんたも、俺とおんなじじゃ、ないですか……」
「いやまあ、俺だって、君の初手が来るまでその確信はなかったよ……しかし、まあ、久しぶりに、全力出したわ、ほんと……」
僕たちは、喧嘩をした。
とはいうものの、僕たちに目立った外傷はない。確かに、喧嘩の最中にバランスを崩して倒れた時や、殴られた時の衝撃を殺し切れずに木に受身を取った時についた傷はあるけれど、しかし、直に殴られた傷はない。
そもそも僕たち天秤症候群は、医学的にその存在を認められているわけじゃない。
運動行動として出す結果が人よりも著しく強いだけで、人としての構造が同じである以上、あまりにも強い力で殴られれば、その部分は死んでしまう。
僕たちは、互いの拳を受け止めるか、交わすかで喧嘩をし続け、その体力が尽き、仰向けになっている。

僕は、視線を空に戻し、隣の彼に問いかける。
「なあ、君は、君が、学校の球技大会を休んだ理由……つーか、今日って、球技大会だよね?」
僕は、ほとんどうろ覚えと推測で言った言葉の確証を得ていなかった事を思い出し、彼に問うと「ええ、そうですよ」と言った。
「ああ、そうか。うん。君が球技大会にさ、出ない理由はやっぱり、力の発現が強いから、だろう?」
「……はい」
と、彼は僕を向きながら、言う。
その顔は、ただ動く何かをただ見ている表情ではなく、人を見るときの人の顔だった。
こうしてみると、可愛らしい顔をしている。僕に男色の気はないが。
「分かるよ……俺もそうだったから。力のセーブが出来ないんだろう? いや、できるかもしれないけれど、できるかもしれないって不確かな気持ちで生きるのは、辛い。すごく、分かる……」
僕は、落ち着き始めた肺から、酸素を絞り出し彼に伝える。
「君が、さ。もし自分の力をセーブしたいのなら、さ。俺が普通の頭のおかしい人間だと思っている時に向けていたあの目……あれを、やめることだ。もし、周りの人……同級生や生活上ですれ違う人に向けているとするなら、絶対にやめるべきだ。
そうしなきゃ、君は力を抑えられない」
そういう僕に、意外そうな顔をする。
意味がわからない、と言いたいのかもしれない。だから、僕は行動にうつす。
「僕の手を、握ってみてくれよ」
と、左手を差し出す。
握手ならば右手を差し出したいのだけれど、僕たちは仰向けになっていたから、僕の左側に位置する彼に手を差し伸べるためには左手を出すしかない。
彼は僕の意図がわからないようだったけれど、右手を差し出し、僕の手を握る。ぼくはそいつを握り返す。
「ほら、ね?」
優しく絡まった手を持ち上げて、僕はいう。そして、その意図が分かったのだろう、彼は少し驚いた顔をした。
「君は僕を、対等であると認識しているから、僕の手を握ることに、その価値の分だけの力を込めている。それ以上でもなく、それ以下でもない」
僕が浮かせた手の力を抜くと、彼の手はゆっくりと地面に吸い込まれた。
僕はそれを見ながら、伝え続ける。
「僕たちは、どんな人間とも対等だ。それは医学的にも認められているし、社会的にも然りだ。まあ、認められているっていうにはあまりにも不平等かもしれないけれどね。だから、僕たちは普通に生きている事を自覚して、周りも対等だと認識すること。それが、力をセーブする方法」
僕は、彼に微笑んでみせる。
彼は、ぼくをみて、少しだけ悲しそうな顔をした。
「でも、それは、辛い」
そう、彼は呟いた。
「ああ。辛いだろうね。だって、彼らを自分と対等だと見れば、そいつらが言うこともまた、対等な立場からの発言になる。君も、散々言われてきたんだろう? 色々とさ。周りの誹謗や中傷を同じ人間として受ければ、君は傷つくし、時には怒るだろう。怒り殴れば、人とは変わらないけど、あまりにも違いすぎる僕たちはその人を傷つけるだろう。僕たちが周りからの悪意を意に返さない一番楽な方法は、人としてみないことだ。けれどね、人としてみない以上、僕たちは人に対し「普通に」触れることなんてできない。僕たちが及ぼす影響を、その未来を想像できない。想像できないのは、怖い。人としてみないくせに、その人が壊れることが、怖い……言い方悪くなって、ごめんね」
僕は矢つぎ早に伝えた言葉が、彼を傷つけていないか心配になり、付け足す。それを聞いた彼は笑った。
「なんだ、優しいんですね。さっきはすげえ馬鹿にしてきたくせに」
「……さっきは悪かった。あれは、僕の好奇心で、君を怒らせたかった。君は……僕に似ていたから」
「似ていた?」
「うん。僕も、球技大会の日、同じようにここに座っていたから」
そういうと彼は、少し意外そうな顔をした。
「貴方も、力がセーブできなかった時があるんですね」
「さも意外そうに言うけど、当然のようにセーブできなかったよ」
過去を思い出しながら、僕は自身の体験を伝える。
「それで、見学扱いでも良いからさぼらずに出席していれば体育の補講を受けずに済んだのに、僕は途中からここにきて、体育の補講を受けて、そこでも参加できずに保健室に行って、そこで偶然いた相談員の人に助けられて、いま大学に通っているよ」
その人と共に、ね。とは、言わなかった。
個人的なことは、それだけにしておこう。
「君は、球技大会を抜け出たわけだけど、補講は大丈夫? 何とかなりそう?」
そういう僕に、彼は自然な笑顔で答えた。
「いえ、今日以外の体育の授業は全て出ていますし、これから休まなければ、補講を受けずに済みます」
そして、僕たちはそれきり会話が止まり、しばらくの間人目もはばからず、空を見上げる。
何分か経った後、この地域特有の市民館のスピーカーから流れる「十二時のチャイム」が聞こえてきた。僕たちはそれを合図に、立ち上がる。
「帰ろうか」
僕はいい、
「はい。今日は、ありがとうございます」
と、彼は右手を差し出す。
僕は「さっきは逆の手だったからね」と笑いながら応じて「じゃあね」と伝えた。
彼は、「本当にありがとうございました。惚れちゃいそうです」と、微笑んだ。

 

「ホモなのかもしれない?」
今日は白米、味噌汁、目玉焼き、ひじきという朝食で、一昨日の話を終える頃には二人ともそれらを食べ終え、食器も洗って片付けすら終わってしまっていた。
「っていうか、君もまた物好きだね……優しさと同義だけど、しかし同意ではないよ? まあいいけど。でもさ、君はその子を男の子として見ていたようだけど、本当にその子は男の子かい? 男の子であるという、または女の子でないという確証がないうちに、その子を男の子として受け入れ、ホモだと断定するに早いよ……」
彼女は呆れた風にいう。
「でも、どちらにせよ、今まで誰かと触れる事を拒んだ人間が、いきなり喧嘩をして、その上に優しく手を触れ合ったりすれば、その衝撃はかなり大きいものだろうね。確かに、恋に落ちるかもしれない。まあ、そんなことになったら楽しい楽しい私の嫌がらせが始まるだろうけどね、柊君?」