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家賃3.8万円

死ぬまで、やります

小説003 / 二話

普段の生活で、塀を飛び越え、知らぬ人が住む家の屋根を伝い、風を切りながら空を駆ける、何てことはしない。
あくまで僕は、一般市民として生活をしている。
体を使えばその分、対価として寿命が減るかもしれない、という臆病な恐怖があるのも否定はできないけれど、しかし、それ以外にも理由はある。
姉貴に叱られるからだ。
その理由は「普通の人としてあってほしい」からだそうだけれど、僕がどれだけ僕の力を使おうとも、僕は医療機関にも社会制度にも認められた人であることには変わりがないのだから、その意味を理解できない。
けれど、姉貴に叱られるのは嫌なので、僕は真っ当であることを選ぶ。
その理由が、僕の納得する理由であるならば、僕はそれを普通の人並の力しか出さない理由の一つにできるのだけれど、残念ながら姉貴が好きであるということと、その言葉を自分のものにするのは別問題だ。

他称天才少女の家を一緒に出て、彼女が駅に向けて走り出した後、僕はそれを背にして、近くの公園まで歩き出す。
いつのまにか雨は止み、水溜りが陽の光を反射している。
彼女と別れた後、もう一度彼女の家に戻ろうかと思ったけれど、しかしそれは無粋だとも思い、彼女を追いかけて駅に行っても大学に行く用事はないし、家に帰っても本を読んで過ごすだけなので、僕はなんとなく、今日の過ごし方を考えるためにという理由をつけて、彼女から借りたライターを持って僕と彼女の家の中間地点にある公園に向かうことにした。

学校のある日、駅に向かうために公園の横を通り過ぎる必要がある。
行きつけって訳ではないけれど、ほとんど毎日のように通ればさほど広くはないこの公園の何処に何があるのかなんて、把握しようともせずに知れている。
その、いつも通りの公園の、いつもは誰も座っていないベンチの上に、人の姿が見える。
その横に僕の御目当ての灰皿が置いてあるのだけれど、しかしどうして、平日の昼間、他に誰もいないこの状況下で、その人影はそこにいるのだろう。
遠くからスーツを着たサラリーマンが煙草でも吹かしているのかな、と思ったけれど、近寄って見て気がつく。上着はスーツではなく、紺色のブレザーで、左胸には校章が貼られている。
彼はどこかの遠くの方をぼうっと見つめていたが、近づいて立ち止まった僕の姿に気がつき、顔をこちらに向ける。
その表情はどこか険しいが、そのあどけなさの残る顔を見て、僕は確信する。
彼は、高校生だ。
そして高校生らしく、煙草を吹かしているわけではない。真っ当な高校生でしかない。
制服を着ているのだし、今日はきっと、彼の在籍する学校はお休みではないのだろう、しかし、サボってここにきている。
そう見当をつけるけれど、僕だってそんなことくらい、日常茶飯事だった。他人である僕が咎めることも無いだろう。
こちらを見続けている彼に、僕は尋ねる。
「煙草を、吸ってもいいかい?」
彼はなぜそんなことを聞くのだろう? という表情をした後、右手を灰皿の方に向けて、
「どうぞ」
と、言った。
「どうも」
と言い、僕は煙草に火を付ける。
彼女の家で吸うこともできるのだけれど、しかし彼女は喫煙者ではない。
その家で、なぜか用意されている灰皿を使うのは気がひけるので、僕はいつも、我慢している。
一日ぶりに加えた煙草の煙を肺に入れ、口から吐き出す。とても、美味しい。最高だよラッキーストライク。僕は隣に座る彼に気がつかれないように、表情を緩ませる。

彼は僕が二本の煙草を吸い終えるまで、そこに座り続けていた。
一番最初の会話以外、僕たちの視線が交差することも、言葉が飛び交うこともなかったけれど、しかし彼はそこに居た。
三本連続で煙草を吸うのはやめておこうと思い、僕はパーカーのポケットにそれらを仕舞う。
そのまま家に帰って本の続きを読もうかと思ったけれど、不意に気がつく。
ベンチに座っていた彼が、僕のことを見ていた。
けれど、その口元が動くことはない。その目は、なんだか気だるげそうだ。まるで人を見ている表情ではない。
ただ動いている生き物を、ただ見ている風。
僕はその表情を見て、彼に俄然興味が湧いてきた。
「なにか、僕に、用事でも?」
まるで彼が喧嘩を売り、そして僕がそれを買う、そんな構図だけれど、彼は別に喧嘩を売っている訳ではないらしく、首を振った。
「いえ、何でもないです。……すみません、不躾に見てしまって」
「いや、大丈夫だよ、いや……大丈夫じゃあないかもね? 君は高校生だよね? 平日の昼間に、制服で、こんな所にいて良いの?」
と、僕はまるでお節介な大人のように彼に問う。
「ああ。学校は、さぼりです。親に見つかったら、怒られるでしょうね。けれどまあ、大丈夫ですよ。怒られても、構わない」
本当に構わないのだろう。罪悪感も、恐怖感も含ませず、ただ単調に彼は言う。
「ちなみにさ。今日は何かをイベントでもあったの? そのブレザーの下、ジャージだよね? 僕が高校生の時は、ブレザーの下はワイシャツだと相場が決まっていたけど、今はそんな風習、廃れたってわけ?」
彼はその質問に、少し呆気になり、そして、今までの会話の中で初めて、苛立ちを含めて僕を見た。
「あーまあ、そんなところです。ブレザー着て学校行って、帰りは脱いでジャージで良くない遊び、みたいな、そんなのが流行ってるんです」
彼は面倒くさくなったのだろう、あからさまな嘘を言う。だから僕も、そのあからさまな嘘を、掘り下げてやることにした。
「なるほどね……。ん? いや、少し待ってよ。いや実はね、僕も昔は君と同じ高校だったんだけれどね? まあ、もしかしたら校則も今じゃあ変わってしまってるかもしれないけど、僕が在学していた時は、そもそも学校に制服を着て行く必要はなくて、普通に普遍に私服が許されていたと思うんだよ。いや今は分からないけれどね? 分からないさ。確かに制服も存在していたから、もしかしたら制服着用遵守になっているのかも? ……仮に校則が変わらず今も私服登校が許されるならさ、別に良くない遊びのためにジャージを着込む必要はないんだよねー。いや、君のことを疑ってる訳じゃないよ? でも君の格好ってちぐはくだよねー。ジャージの上に制服。なのに君は、運動靴を履いている。制服着用を義務付けながら靴はその限りではないってのも、おかしい話だよね?」
まあ、制服着用が義務ならば、良くない遊びのためにジャージを着込むというのも分かる気がするけど、しかし、やはり、校則に変わりはないはずだ。
その根拠はたまに彼女から聞く愚痴にある。何せ彼女は、そこの学校の非常勤講師で、僕が出会ったのはその生徒だったからだ。
彼は、しばらく呆気にとらわれていたが、面倒な奴に絡まれたと思い至ったのだろう。僕から視線を外し、膝に手を付き立ち上がり、僕に背を向け歩き出そうとする。
「無視かい? まあ、良いさ。別にいいけどね、嘘をつかれた人間として、糾弾させてくれよ。君が嘘をついたのは二つ。制服の下にジャージを着ている理由がよくない遊びのためってことと……」
僕は、声に笑いを含ませて言う。
「親に怒られても構わない。ってことだね?」
その声に、彼は、僕に背を向けたまま立ち止まる。
その肩は震えていないけれど果たして、その顔は分からない。しかし、容易に想像がつく。
僕はそれでも、続ける。
以前、確固とした彼への興味を持って。
「そんでね、話している間に思い出したんだよ。そういや、この時期だよね、球技大会ってさ? いや、今日というこの日こそがそうなのかな? 確か、見学者はジャージの上にブレザーを羽織るってのを義務付けられていたはずなんだけれど、そうだよね? だから、君は、その格好なんだよね? 君は見学者のくせに、サボっているから、その格好なんだろう? いや、サボるために見学者なのかな? どっちでもいいけどさ、一つ言いたいことがある」
そして、僕は、少しタメを含み、今度は平坦な声で、明らかな差別用語を唱える。

「君ってもしかして『テンビー』だったりする?」

そして、彼は、その言葉を聞き、振り向き、僕の方を睨みつける。
まるで「散々学校でも言われているその言葉を、外でも聞かなきゃいけないなんて」みたいな、理不尽に対する子供の感情のような、そんな顔を僕に向ける。

「テンビー?」

僕はもう一度いう。
僕も散々に言われてきた言葉を、僕の好奇心で彼を傷つけようとも、僕は言う。

テンビー。

馬鹿っぽいその言葉は僕たちへの侮蔑用語で、社会的にはしっかりとした名称がある。
天秤症候群。
それが、僕たち「人ならざる身体能力を持つ人間」に付けられた二つ目の名前だ。
天秤にかけているのは、片方に身体能力。そして、もう片方に、それ以外のその人の全てだ。
社会は「身体能力と寿命をかけているため」という。つまり、身体能力が重すぎて、寿命が軽くなっている、つまり早く死ぬ。それが、この現象の理由だ。
それ以外に、理由はない。
とは言うのも、もし仮に「常人より著しく筋力が強いため、体力の消費量がまた、常人よりも多く、早く死ぬ傾向がある」といった、この現象の確固とした理由が見つけられているのであれば、これは現象とは呼ばれず症状と呼ばれ、また天秤なんて言葉は使われず、たとえに則るなら「筋力馬鹿病」みたいなネーミングとなるだろう。
しかし、そうならない。なってはくれないのは、ただ、身体能力が著しく高く、そのため、早死にする傾向がある。というその事実のみしか明らかになっていないからだ。僕たちの体内構造は常人と一緒だし、これといった精神的な疾患も見受けられない。確かに蔑まれ、人として扱われないと嘆き鬱になる人は多いと聞くが、それは環境因子による発病が多い。天秤症候群とは、なんら関係がないといわれている。

だからこそ、僕たちは、蔑まれる。
結果として身体能力が高いというだけで、その理由だけで僕たちは避けられる存在となる。
僕はもう、テンビーなんて、言われても何も思わないようにできるけれど、しかし、一つだけ許せないことがある。
僕にとってはそうであるけれど、未だに対峙する彼にとってはどうか、分からない。
けれど、そうであるかもしれない以上、僕は彼に言ってみる価値がある。

「いやね? テンビーってさ、人よりもすげえ身体能力が高いらしいから、同じ人を見るときの顔がまるで、違う生き物を見るような表情らしいって聞いたんだ。そう、さっきまでの君の顔だよ。今は殺すぞゴキブリ野郎、みたいな顔をしているけどね。それで、僕は君がテンビーだと思ったんだ。そしてね、君が家族に怒られるのを、構わないって言ったことを嘘だと思ったのは、最初から見学するつもりなら、運動靴を履いて学校に行くとは思えないんだよね。でも、君は現に靴を履いている。それは、誰かに、ジャージを着て靴を履いて家を出る姿を見せなきゃならなかったんじゃない? それに、聞いたことがあるんだよ」
聞いたこともない事を、僕は言う。

「テンビーってさ、家族好きで有名じゃん。
ああ、かわいそうに。
人じゃないくせに、人が好きなんて。

その家族が、かわいそうだよ」

僕も、いつか、そう思っていた。
家族がかわいそうだと。
姉貴がかわいそうだと。

けれど、人から言われるのと、自身を客観的にみて悲観してそう思うのはわけが違う。
僕は、明確に、彼の家族を馬鹿にしている。


彼が僕に拳を構える。
踏みとどまるのは当然だ。
身体能力が人よりも高いなら、その力で人を殴れば、人よりも強く傷つける。

だけれども、僕は殴られて当然なことを言っている。
そして、殴られても、大丈夫。
彼の力が見てみたい。
天秤症候群は、案外、同じ症候群者に出会えない。

僕は、同じ悩みを抱えていたことがある。
同じように、僕はこの日、ベンチに座っていたのだから、僕にはそれがわかる。
僕の過去を見ているようだ。
だから、興味がある。
彼の未来に。
同じテンビーだろうが、彼と僕は違うから。

だから、確実に拳が出るまであと一歩、その手を引いてやる。

「ああ、かわいそうだ。
人なのに、人じゃない子を産んだ親がさ。
いや……もしかして決めつけてたけど、
君はもしかして、
人かい? それとも、テンビー?」

社会的な人だけれど、
日常での扱いは人じゃない。
僕たちは日常を生きている。
だから、売られた喧嘩の答えは、

「人じゃねえから殴っても良い」