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SNSは恋人の名前を叫ぶためにある / 感動のスイッチ

最近、SNSで恋人の名前を叫ぶ人を見かけなくなった。

 

不特定多数に向けたツールだけど、一番最初に伝わるのは最初から繋がっている人達なのだから、自分が付き合っている人の名前を叫ぶべきであると、俺は思う。

 

そういう考えを持っているから、名前を叫ばない人は「自分はこういう思考を持ち、こういう活動をしているけど、付き合ってる人はいるかいないか教えないよ、もしかしたらいないかもよ? 寄ってきなよ」と考えているように思えてしまう。

 

 

 

(もとよりsnsはそんな場所ではない)

 

 

 

 

という、どうでも良い話である。

 

 

 

恋人ができたら、生活は変わる。

けど、日常は劇的には変わらない。

変わった生活が日常になるだけ。

 

人を感動させることのできる作品を作り出せる人は、他人の感動のスイッチを押せる能力を持っている人。

感動のスイッチを押すということは、日常を生きていて誰もが持つ共通項が与えた感情を引き出すということ。

普遍的で不変的な日常でも、何かにつまずいて、それを蹴り飛ばして他人にぶつけられる脚力を持っていること。

 

 

羨ましい限りだ。

 

 

 

俺は仙台出身で、震災から少し経ったあと、その時はまだ生きていた爺ちゃんに会うために仙台に行った。

ガソリンスタンドはどこも閉まっていて、橋は無くなっていて、浸水の爪痕が残っていた。

そして、俺の中で一番強烈だったのは、瓦が散乱していた街を見た時の「本当に地震はあったんだ」という感想。

 

でも、それは今はもう、そんなことがあって、みんな忘れないようにテレビで取り上げているんだっていう日常になっている。

 

震災を取り上げた番組や、歌なんかは感動を狙っているのではないかと思われがちだし、感動を狙うということは人の興味を惹こうということ。

 

もちろん、ただ、作品にしたかったという人も沢山いる。

 

仮に狙っていたとして、それの何が悪いのだろうという気持ちと、それは嫌だという気持ちがある。

 

どっちつかずの俺は多分、どこにも行けないんだろうなとも思う。

 

 

 

 

 

 

体調は良くなった。

 

 

 

 

どこかに行こう。