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家賃3.8万円

死ぬまで、やります

困っても逃げないで、価値を得るため戦えばいい

人間(自分)が何故生きているのかを考えたことがない人間は居ない、とよく作家や哲学者は語るけれど、普段から自分が何故生きているのかを考えている人間なんて稀有で、生きている理由を考えることなく日は落ちて朝を迎える。

 

いや、俺が稀有だと思っているだけで、もしかしたらみんなは常日頃から考えているのかもしれないし、だから皆は俺よりもよっぽど生産的な日々を紡いでいるのかもしれない。

けれど1つだけ言えるのは、俺の周りには生きる意味を考えながら生きている人間なんていないという事。

 

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人らしく有ってほしい、という言葉を耳にした。

人は生きているだけで人そのものであることは間違いないけれど、生きてもらうための手助けをするという行為に価値が付くだけで、人は行為=価値と見なし、価値を生むものは物であると錯覚しやすい。

 

確かに、行為=価値で、行為には時間が代償となって、時間は価値なのだから間違いはない。

けれど、人が人であるのは、周りの人から認知されて初めて成しえることであって、人と触れ合う事は当然と考えるのであれば、人の生きる手助けをすることに価値はない。

 

けれど、そこに価値を付けなければ人は誰も助けない。

人間とは、そういうものだと思う。

 

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人が人らしく有ってもらいたいと思い行動していくうえで、どうしても理解不能な出来事(価値観)や状況に逢うことがある。

困っても逃げないで。問題を解決すれば価値である以上は、戦おう。

問題というのは、敵みたいなものだ。

敵というのも、倒せば価値があるから敵となるわけであって、価値のない敵はそこらの置物と一緒で無視されてしかるべき存在だ。

いや、置物にも視覚的な意味や、置こうと思われた初期衝動的な価値があるから、空気みたいなものか。いや、空気も無ければ困るからきっと、価値のない存在に名前を付けるという事は出来ない、という結論が妥当だろうか。

 

敵という問題、言い換えれば目障りな物さえ排除してしまえば、視界は広がる。

そりゃあもちろん、初めからそんなものがなければ一番良い。

だからみんな、敵を作ろうとはしない。

 

敵を作りたがる人間というのは、敵がいる自分という存在を客観視した時に格好良いと感じえる人間が、敵が多いことに有能感を覚える人間の二択。

 

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明日は、高松宮