Artical-s Blog.

家賃3.8万円

死ぬまで、やります

小説001 / 一話

小説001。

俺は英雄なんかじゃない。ただ、ヒトとは違うところがあっただけ。

幼い頃、俺は親父からよくそう言われていた。

それは周りの人たちが、親父のことを見るたびに英雄だとか、ヒーローだとか、そう言っているのを聞いた日の夜の定型文みたいなものだった。

聞かされるたび、ヒトは違い、だから周りの人は英雄と呼び、でも英雄じゃないなら、周りの人からは親父は英雄というヒトじゃない生き物に見えて、俺にとって親父は親父という生き物、と混乱したのち、俺は親父はヒトではないんだとしばらくの間そう認識していた。

だからお前は、俺がなぜ英雄と呼ばれているかなんて、知らなくていい。お前は英雄の息子じゃなくて、只の俺の息子で、只の椎名真城なんだよ。

そう言われるたびに、俺は只の椎名真城なんだと思った。親父のことは好きだったから、それは良い感情だったと思う。

だから、親父がなぜ周りの人から英雄と呼ばれているかなんて気にもしていなかった。

俺は親父が好きだったくせに、周りの人が本人が否定している英雄という言葉を親父に向けても否定もせず、嫌悪感も持たなかったのは、俺の中で親父は親父でしかなかったからだったと思う。子供心は複雑だ。

親父はよく、俺と一緒に遊んでくれた。

むしろ親父の仕事は、俺と遊ぶことだったように思う。母さんは働いていたから、主夫みたいなものだったのだろう。親父の作る飯は美味しかった。椎名の婆ちゃんの飯を食うと今でも思い出す。

あれは五歳か六歳ごろだった思う。母さんが仕事に行った日曜日、親父と公園でキャッチボールをしていた時、どうしても親父が投げてくるボールを取れずに体で受け止めてしまっていると、親父が言った。

「ボールだけを見ろ。ミットは添えるだけだ。そうすれば取れる。ボールが動く様がわかるようになってくる。慣れてきたら回転も分かるようになってくる」

それを聞いて俺は、ボールだけを見続ければ回転がわかるようになるということは、今はものすごい勢いで向かってくるボールがゆっくりに見えるのだと、そう思った。

足元に転がっていた硬式のボールを模した柔らかい球を親父に投げ返し、親父がまた俺に投げ返すために振りかぶったその瞬間、俺は「ボールがゆっくりに見える」と、意識して、

世界をスローモーションにした。

何が起きたのか分からなかった。

最初は親父が放った球の回転が本当にゆっくりに見えて、やっぱり親父の言うことは正しいんだと思った。

しかし、宙を舞った球はなかなか俺の元へはこない。気がつけば周りの風景も一様に遅くなっていて、流れる音も引き伸ばされ、俺だけが世界に取り残された感覚だった。

世界が変わっていることに気がついた俺は、宙に浮いた球が自重に逆らえず下へ向かう球の向こうにいる親父に何が起こっているのかを聞こうとその顔見た。

親父はとてもゆっくりとした変化で、それこそ表情筋の動く様が分かるほどの速さで、驚きの顔へと変わる途中だった。

親父は、何かを叫ぼうとしていた。

その声はとてもゆっくりで、でも遅くなった親父が伝えようとするその言葉を辛抱強く待った。

親父が好きで、その親父の言葉を大切にしていて良かったと思う。まあ、嫌いだったらキャッチボールなんてしていなかったように思うが。

引き伸ばされた親父の声が俺に届くまで、どれくらいの時間が経ったかは、分からない。実際は数秒で伝わるその言葉は、体感時間でゆうに3分くらいはあったと思う。

最初の言葉は、も。

次の言葉は、ど。

次は、お。

その次は、て。

その後次は、こ。

最期に、い。

言葉にして、確認する。もどおてこい、いや、多分、戻って、こい?

もどってこいって、なに? どこに?

俺がそう返すと、親父は何かを叫びながら、俺の方へ走り出そうとする。

その動きはとてもゆっくりで、でも俺は、やっぱり待っていた。親父の目からは数秒、立ち止まっていたように見えただろうが、今なら分かる。親父がどれだけの時間を俺が過ごしていたかを、親父は分かっていただろう。

親父のその腕が俺を掴み、抱きかかえる。スローモーションで持ち上げられる経験は、後にも先にもそれしかない。

そして、進み出す。振り返ると、宙に浮いていた球は遠く転がっていて、回転をやめていた。

そこからが長かった。

親父はまっていろ、と言う言葉を発したのち、他になにも言わなかった。引き伸ばされた時間の中で言葉を聞く大変さを知っていたからだ。

親父が向かっているのが家だと言うことに、その道中の半分ごろに気がついた。

家に戻るの? と俺が聞くと、親父は言う。

い、え、に、い、け。

その言葉を聞いた俺は親父の腕から飛び降りると、先に行っていると叫びながら、走った。親父の表情は必死で、その言葉に従わないといけないと思った。

家の郵便受けの後ろに隠してある鍵を使い、ドアを開ける。自分が触れているものはゆっくり動かない、と言うことに気がついたのは後になってからだ。

家に行けと言われたものの、来てどうすればいいか分からない俺は、また親父の元へ何をするか聞きに行こうとも思ったが、家に行けと言われている以上、待つべきだと思い、茶の間に入る。

テレビでもつけようかと悠長な事を思ったが、テレビもゆっくりに見えるだろうと流石に分かり始めていた俺は、ふと、どれくらいの時間が経ったのか気になった。

古い木造の家、それを支える柱にかけられた親父の煙草のパッケージが印刷された時計は、止まっているように見えた。

どれくらいの時間が、遅くなっているのだろうと、気になった。同時にもしかしたら俺は、人より長い時間を過ごせるのではないかと思い、夜寝る前の好きなことができる時間だったらまた、この世界が来てもいいなと思いながら、時計の秒針が動くのを待ち、一瞬震えた秒針が動き始める瞬間を初めて見たなあと思いつつ、間延びした音を聞いた瞬間、

意識が途絶えた。

目が覚めたのは、夏休みに入って一週間が経った日だった。俺が親父とキャッチボールをしたのは、五月の中旬で、丸二ヶ月は寝ていたことになる。体重がものすごく減ったし、注射の針の跡が残った。

しかし、それは大したことではなかった。

目が覚めたと報告を受けた両親は俺の顔を見るなり、泣き始めた。

そして、ものすごく謝られた。

最初で最後の英雄という生き物が泣く瞬間だった。

その後、俺は親父に、俺が何をしたのか、何ができるのか、というのを教わった。それは親父にもできることだったが、しかし俺にまでできるとは思っていなかった、とも聞いた。

まあ、一言で言えば、自分以外の時間を引き延ばすことができる、というチカラ。親父が自分はヒトとは違うと言ったその理由も、その時に理解した。

その引き延ばす時間の密度や長さも、調整することができるという事、そして戻ってくるためには俺の場合、時計の針の音を聞く事ということも教わった。

親父は、意識の問題だ、と言っていたが、幼い頃の俺はトリガーになるものが必要だった。今でも、親父のように意識だけで元に戻すことはできないとおもう。

親父はそのあと、時間を引き延ばすと自分がどのように見えるかを見せてくれた。

これが面白いもので、人の何倍も早く動いているように見えるのだ。親父は伸ばす時間の密度によって、見え方が違うと言っていた。

親父にはその後、時間の引き伸ばし方を教えてもらった。俺はチカラを使うトリガーは意識だけで引けるようでそこは苦労しなかったが、どれだけ引き延ばすかを調節するコツを覚えるのは苦労した。

何度か吐きそうになったし、実際、何度か意識が飛んだ。このチカラは、それなりに体力を消耗するらしい。そんな姿を見た親父は毎回泣きそうな顔で謝ってきたが、それでも親父は、このチカラの使い方を覚えさせたいようだったから、なんども練習した。今になって思えば、自分のチカラで困らないようにいて欲しかったのだろうと思う。確かに、二ヶ月も意識のない息子を見たらそうなるだろう。

そして、最後に、むやみにこのチカラを使うな、と言われた。

俺がチカラをある程度は使いこなせるようになったのは中学生の頃で、流石にむやみに、と言う言葉の意味は分かっていたし、大量を無下に使いたくないし、概ね同意した。

親父が死んだのは、その一年後だ。

死因は事故死だった。

車に跳ねられて頭を打ち即死。

避けようなんていくらでもあっただろう、なんて母さんには言えなかった。

親父は、時間を引き延ばすために、俺とは逆になにかのトリガーが必要だと言っていた。それがなんなのかは、結局教えてもらう機会が無かったから今でも分からない。

もう一つ分からない事がある。

親父がなぜ、英雄と言われていたのかを結局、聞くことが出来なかった。

まあ、親父は親父という生き物だ。それだけだ。多分、時間の引き延ばしに関係しているとは思うが、それを誰かから聞こうと思わない。

英雄の死は、俺が思った以上に世間では取りざたされた。テレビで何度かニュースで流れていたし、地方紙では一面を飾っていた。

残された俺と母さんは、母さんの実家に戻る事にした。加えて、親父の遺言があり、なんでも苗字を婚前に戻してほしいとのことで、俺が高校に行く頃には椎名から黛になった。

そのおかげもあって、英雄の息子、なんて言われることもなく過ごすことが出来た。

そこから先は、ふつうの人生を送っている。

時間は引き延ばそうとは、全く思えなかった。

その必要もなかった。

流れるままに、生きていた。

ふつうの人生こそ、最高だ。

親父は、俺に、どうして欲しかっただろうか。

それは、わからない。