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家賃3.8万円

死ぬまで、やります

死にたいという事

こんな時代だからとか、こんな状況だから暗いことは言えない、死にたいとは言うな、などと言う大人の言う事を聞く必要はない。

 

誰だってどんな状況でも死にたい時は往々にしてあるし、それを言うことを止められるのは間違っている。

 

俺は、いつでも死にたい。

間違いないなく死にたいと思っているし、それはつまるところ、今の状況から解放されたい。

 

それでも最近は言わなくなった。

全く言わないと言うわけではないけど、職業の都合もあるし、祖母を見ているとこの人より先に死ぬ訳にはいかないと感じるから。

 

自分が死んだ後に記憶も薄れながら、孫が死んで悲しむその姿や、死んだのに自分の姿を探してしまう祖母を想像すると、今はまだ死ねない。

 

 

というか、普通に死にたくない。

 

 

もっと遊んでいたいし、もっとみんなと音楽やりたいし、もっと人にいろいろな事で認められたい。

良ければ彼女とかできて、朝起きたら隣に寝ているその姿を見て幸せとかを感じてみたい。

 

 

 

 

 

 

詩人か!!!!!!!!

困っても逃げないで、価値を得るため戦えばいい

人間(自分)が何故生きているのかを考えたことがない人間は居ない、とよく作家や哲学者は語るけれど、普段から自分が何故生きているのかを考えている人間なんて稀有で、生きている理由を考えることなく日は落ちて朝を迎える。

 

いや、俺が稀有だと思っているだけで、もしかしたらみんなは常日頃から考えているのかもしれないし、だから皆は俺よりもよっぽど生産的な日々を紡いでいるのかもしれない。

けれど1つだけ言えるのは、俺の周りには生きる意味を考えながら生きている人間なんていないという事。

 

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人らしく有ってほしい、という言葉を耳にした。

人は生きているだけで人そのものであることは間違いないけれど、生きてもらうための手助けをするという行為に価値が付くだけで、人は行為=価値と見なし、価値を生むものは物であると錯覚しやすい。

 

確かに、行為=価値で、行為には時間が代償となって、時間は価値なのだから間違いはない。

けれど、人が人であるのは、周りの人から認知されて初めて成しえることであって、人と触れ合う事は当然と考えるのであれば、人の生きる手助けをすることに価値はない。

 

けれど、そこに価値を付けなければ人は誰も助けない。

人間とは、そういうものだと思う。

 

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人が人らしく有ってもらいたいと思い行動していくうえで、どうしても理解不能な出来事(価値観)や状況に逢うことがある。

困っても逃げないで。問題を解決すれば価値である以上は、戦おう。

問題というのは、敵みたいなものだ。

敵というのも、倒せば価値があるから敵となるわけであって、価値のない敵はそこらの置物と一緒で無視されてしかるべき存在だ。

いや、置物にも視覚的な意味や、置こうと思われた初期衝動的な価値があるから、空気みたいなものか。いや、空気も無ければ困るからきっと、価値のない存在に名前を付けるという事は出来ない、という結論が妥当だろうか。

 

敵という問題、言い換えれば目障りな物さえ排除してしまえば、視界は広がる。

そりゃあもちろん、初めからそんなものがなければ一番良い。

だからみんな、敵を作ろうとはしない。

 

敵を作りたがる人間というのは、敵がいる自分という存在を客観視した時に格好良いと感じえる人間が、敵が多いことに有能感を覚える人間の二択。

 

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明日は、高松宮

 

座ってから気がつく事

トイレに入る際、スマートフォンを持って来ればよかったと後悔する……長くなりそうだ。

だから、この文章はトイレから出て冷えた体を温めるためにストーブの前に座ってから打ち込んでいる。

 

中山は雪らしく、事前投票を受け付けていないらしい。朝から競馬に張っているジャンキーくらいしか、競馬場に金を落とさないとなると、低配当な気がする。

 

今日は、すげえ負けた。

ギャンブル日記も終わりを迎えそうだ。

生命が危ういよ。

 

アシタモカケル。

僕は泥棒 下

レースに勝ち、ゴスロリ少女とのデートの約束も取り付けることができたけれど、何故か僕は筋肉マッチョの男と身長が二メートルは越えているだろう木の枝みたいな女とゲームに興じていた。

 

なんて事はない。

騙されたわけではなく、純粋に僕の友達である。

 

ちなみにゴスロリ少女とのデートは明日。

話したがりな性格をしている僕は、事情を二人に伝えたがどちらも興味もないようだった。

 

僕がゲームの世界で命を失いはじき出された頃、筋肉マッチョは言った。

 

「最近、周りは結婚ブームだよな」

 

僕の周りと筋肉マッチョの交友関係はそこまで重なっていないので、僕の周りはそうでもないのだけれど話の腰を折るのも嫌なので頷いてみせる。

 

「で、聞いた話なんだけどさ。なんでも最近は心音が抜かれる、なんていう都市伝説が流行ってるんだと」

 

「心音? 殺されるって事?」

 

「いや、心臓の音が無くなるらしい。あー、死ぬわけじゃないらしい。なんだかよく分からないが、だから都市伝説なんだろ」

 

確かに心を奪われるという表現はどんな所でも見かけるし、そういう意味ではなんだか繋がっているような気もするが……。

 

というか、結婚ブームという話から心音が抜かれるという都市伝説に話がつながったのだろうか。

 

気になったけれど、それ以上は筋肉マッチョがこの話を続けることはなかった。

 

木の枝みたいな女の今にも折れそうな細い指でゲーム機のボタンを勢いよく弾いている音が響く部屋の中で、手持ち無沙汰な僕はいつの間にか眠りについていた。

僕は泥棒 中

三コーナーを過ぎたあたりからズルズルと馬群に乗れていった賭けていた馬は目も当てられない着順となってしまい、僕は負けてしまった。

 

まだ、資金は残り半分あるし元より賭けるつもりだった次のレースで取り返してみせると心に誓った僕は、パドックを見に行くために歩き始める。

 

 

ふと気がつくと、パドックの馬たちを見る客の中に、明らかに周りから浮いている少女がいた。

 

 

 

眼帯、ゴスロリ、ふわふわの黒い髪。

 

 

ファッションに興味ないと自分でいう奴の大半は、自分の見た目に何か言われようとも気にしない。

けれど他の誰かが不思議な格好をしていると、蔑んだり好奇に駆られ囃し立てる。

 

ファッションに興味がないわけではなくて、自分が格好良いと思った服を周囲に認められないのが怖くて、無個性を演じようとしているだけ、というのが僕の持論だ。

 

本当にファッションに興味がない人間と言い切るには、周りのそういった空気は気にすれど、その人の評価には何ら関係を及ばさない思考をしていなくてはならない。

 

まあ、僕は普通に周りから格好良く思われたいのでちゃんと服を選んで着ている。

 

そして、ゴスロリ少女にも俄然興味がある。

 

ゴスロリには興味はないが、そんな格好をして競馬場に来ているその心理を知りたい。

 

服とは、興味を持たれるための手段なのだ。

 

「一番の馬に単勝で全額賭けます。勝ったら、俺と一緒に遊びに行きましょう」

僕は泥棒 上

人のものを盗んでいけないと、教えられて育ってきた。

どうして人のもの盗んではいけないのか、という理由も一緒に学び、考えたはずだけれども、その時に僕が出した答えという物をどうしても思い出せないでいる。

 

今、その答えを出せと言われれば、僕はもう決まりきっている価値観を分かりやすく答えにするために少しの時間をもらってこう答えるだろう。

 

「人のものはその人の時間の産物であり、ものを盗んで盗むという事は、その人の時間を無価値にしてしまうから」

 

言い換えれば、誰かのものを盗んでもその対価の時間さえ支払えば、それは許される行為となる。

 

あくまで僕の考え方であり、ものを盗めば犯罪だし、この理論でいけば時間さえあればどんなものでも手に入るという事になる。

 

けれど、手に入れたいものにかける時間というのは、平等ではない。

 

だから、盗むのだ。

 

 

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新潟競馬場に着いた頃にはそれまで叩きつけるように振っていた雨も止んでいて、馬が走る姿を見に来るくらいなら公園にでも行ったほうが健康的な休日を送れるのではないかとも思えた。

 

けれどまあ、今さら馬券じゃなく芝の上を走り回る子供達の手を握りしめたいかと問われればそんなことはなく、そもそも僕が子供の手を握りしめるなんて犯罪でしかない。

 

などと、つまらない連想と同時進行で競馬の予想を立てる。

どれだけ少ない賭け金で利益を出せるか、というのが、今日の目標である以上は無駄なレースはするべきではないが、目の前で馬たちが歩いている姿を食い入るように見てしまうのは、競馬が好きだからかギャンブル依存症だからか。

 

競馬というのは不思議なもので、馬券を買ってレースが始まるまでは謎の当たって当然だという確信がある。

 

僕は当初するつもりはなかったレースだが、確実に当たると信じて単勝四番人気の馬に資金の半分を複勝で賭けた。

徐な夢

読まなくていい部分↓

 

夢は多分、一気に近づいてきてはゆっくりと離れていくもの。

 

飽き性な俺たちはどこに行くのだろうか、どこにもいけないのか。

進んでいる先が夢へと向かっている道なのか、ただ生きているだけなのか。

 

アカシックレコードというオカルト的な概念によれば、もうすでに未来は決まっているわけだけど、まあ、俺の進んでいる道は破滅への道だね、ギャンブル辞めたいぜ。

 

読まなくていい部分↑

 

 

二月(多分)昔からの友達と酒を飲み、目覚めた朝にふと気がつくと出会い系アプリが入っていた。

 

 

これは友達の悪戯か? と、思う事はなかった。

 

 

俺である、とすぐに確信。

 

 

課金額は11,800円。

 

三ヶ月の利用料金となにを買った……?

 

 

思い出せないのは、な酒ねえ。

 

 

 

思い返せば、いや、現在進行形で俺はギャンブル依存症で、ギャンブルをしている時は輝いているんだけど、やっぱりお金は堅実に使いたい。

 

男の友達にやめてえと言っても、やろうぜ! と、背中を押すばかりだし、女の友達に言えば、どうでも良いと言われる始末で救いようがない。

 

ならばどうしてもギャンブルをしたい時に、ギャンブルした時には止めてくれる彼女さえ居てくれれば、俺は真っ当になれる気がしていたのだ。

 

 

ちなみに、俺は人の話をマジで聞かない。

 

 

 

けどまあ、そんな矛盾を知りながらも、そんな想いを抱えていたから課金したのだろう。

 

 

 

 

 

アカシックレコード、未来を見せてくれよ。

 

 

そしたら、競馬も負けないのになあ。