トイレに入る際、スマートフォンを持って来ればよかったと後悔する……長くなりそうだ。
だから、この文章はトイレから出て冷えた体を温めるためにストーブの前に座ってから打ち込んでいる。
中山は雪らしく、事前投票を受け付けていないらしい。朝から競馬に張っているジャンキーくらいしか、競馬場に金を落とさないとなると、低配当な気がする。
今日は、すげえ負けた。
ギャンブル日記も終わりを迎えそうだ。
生命が危ういよ。
アシタモカケル。
レースに勝ち、ゴスロリ少女とのデートの約束も取り付けることができたけれど、何故か僕は筋肉マッチョの男と身長が二メートルは越えているだろう木の枝みたいな女とゲームに興じていた。
なんて事はない。
騙されたわけではなく、純粋に僕の友達である。
ちなみにゴスロリ少女とのデートは明日。
話したがりな性格をしている僕は、事情を二人に伝えたがどちらも興味もないようだった。
僕がゲームの世界で命を失いはじき出された頃、筋肉マッチョは言った。
「最近、周りは結婚ブームだよな」
僕の周りと筋肉マッチョの交友関係はそこまで重なっていないので、僕の周りはそうでもないのだけれど話の腰を折るのも嫌なので頷いてみせる。
「で、聞いた話なんだけどさ。なんでも最近は心音が抜かれる、なんていう都市伝説が流行ってるんだと」
「心音? 殺されるって事?」
「いや、心臓の音が無くなるらしい。あー、死ぬわけじゃないらしい。なんだかよく分からないが、だから都市伝説なんだろ」
確かに心を奪われるという表現はどんな所でも見かけるし、そういう意味ではなんだか繋がっているような気もするが……。
というか、結婚ブームという話から心音が抜かれるという都市伝説に話がつながったのだろうか。
気になったけれど、それ以上は筋肉マッチョがこの話を続けることはなかった。
木の枝みたいな女の今にも折れそうな細い指でゲーム機のボタンを勢いよく弾いている音が響く部屋の中で、手持ち無沙汰な僕はいつの間にか眠りについていた。
三コーナーを過ぎたあたりからズルズルと馬群に乗れていった賭けていた馬は目も当てられない着順となってしまい、僕は負けてしまった。
まだ、資金は残り半分あるし元より賭けるつもりだった次のレースで取り返してみせると心に誓った僕は、パドックを見に行くために歩き始める。
ふと気がつくと、パドックの馬たちを見る客の中に、明らかに周りから浮いている少女がいた。
眼帯、ゴスロリ、ふわふわの黒い髪。
ファッションに興味ないと自分でいう奴の大半は、自分の見た目に何か言われようとも気にしない。
けれど他の誰かが不思議な格好をしていると、蔑んだり好奇に駆られ囃し立てる。
ファッションに興味がないわけではなくて、自分が格好良いと思った服を周囲に認められないのが怖くて、無個性を演じようとしているだけ、というのが僕の持論だ。
本当にファッションに興味がない人間と言い切るには、周りのそういった空気は気にすれど、その人の評価には何ら関係を及ばさない思考をしていなくてはならない。
まあ、僕は普通に周りから格好良く思われたいのでちゃんと服を選んで着ている。
そして、ゴスロリ少女にも俄然興味がある。
ゴスロリには興味はないが、そんな格好をして競馬場に来ているその心理を知りたい。
服とは、興味を持たれるための手段なのだ。
「一番の馬に単勝で全額賭けます。勝ったら、俺と一緒に遊びに行きましょう」
人のものを盗んでいけないと、教えられて育ってきた。
どうして人のもの盗んではいけないのか、という理由も一緒に学び、考えたはずだけれども、その時に僕が出した答えという物をどうしても思い出せないでいる。
今、その答えを出せと言われれば、僕はもう決まりきっている価値観を分かりやすく答えにするために少しの時間をもらってこう答えるだろう。
「人のものはその人の時間の産物であり、ものを盗んで盗むという事は、その人の時間を無価値にしてしまうから」
言い換えれば、誰かのものを盗んでもその対価の時間さえ支払えば、それは許される行為となる。
あくまで僕の考え方であり、ものを盗めば犯罪だし、この理論でいけば時間さえあればどんなものでも手に入るという事になる。
けれど、手に入れたいものにかける時間というのは、平等ではない。
だから、盗むのだ。
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新潟競馬場に着いた頃にはそれまで叩きつけるように振っていた雨も止んでいて、馬が走る姿を見に来るくらいなら公園にでも行ったほうが健康的な休日を送れるのではないかとも思えた。
けれどまあ、今さら馬券じゃなく芝の上を走り回る子供達の手を握りしめたいかと問われればそんなことはなく、そもそも僕が子供の手を握りしめるなんて犯罪でしかない。
などと、つまらない連想と同時進行で競馬の予想を立てる。
どれだけ少ない賭け金で利益を出せるか、というのが、今日の目標である以上は無駄なレースはするべきではないが、目の前で馬たちが歩いている姿を食い入るように見てしまうのは、競馬が好きだからかギャンブル依存症だからか。
競馬というのは不思議なもので、馬券を買ってレースが始まるまでは謎の当たって当然だという確信がある。
読まなくていい部分↓
夢は多分、一気に近づいてきてはゆっくりと離れていくもの。
飽き性な俺たちはどこに行くのだろうか、どこにもいけないのか。
進んでいる先が夢へと向かっている道なのか、ただ生きているだけなのか。
アカシックレコードというオカルト的な概念によれば、もうすでに未来は決まっているわけだけど、まあ、俺の進んでいる道は破滅への道だね、ギャンブル辞めたいぜ。
読まなくていい部分↑
二月(多分)昔からの友達と酒を飲み、目覚めた朝にふと気がつくと出会い系アプリが入っていた。
これは友達の悪戯か? と、思う事はなかった。
俺である、とすぐに確信。
課金額は11,800円。
三ヶ月の利用料金となにを買った……?
思い出せないのは、な酒ねえ。
思い返せば、いや、現在進行形で俺はギャンブル依存症で、ギャンブルをしている時は輝いているんだけど、やっぱりお金は堅実に使いたい。
男の友達にやめてえと言っても、やろうぜ! と、背中を押すばかりだし、女の友達に言えば、どうでも良いと言われる始末で救いようがない。
ならばどうしてもギャンブルをしたい時に、ギャンブルした時には止めてくれる彼女さえ居てくれれば、俺は真っ当になれる気がしていたのだ。
ちなみに、俺は人の話をマジで聞かない。
けどまあ、そんな矛盾を知りながらも、そんな想いを抱えていたから課金したのだろう。
アカシックレコード、未来を見せてくれよ。
そしたら、競馬も負けないのになあ。
最近、SNSで恋人の名前を叫ぶ人を見かけなくなった。
不特定多数に向けたツールだけど、一番最初に伝わるのは最初から繋がっている人達なのだから、自分が付き合っている人の名前を叫ぶべきであると、俺は思う。
そういう考えを持っているから、名前を叫ばない人は「自分はこういう思考を持ち、こういう活動をしているけど、付き合ってる人はいるかいないか教えないよ、もしかしたらいないかもよ? 寄ってきなよ」と考えているように思えてしまう。
(もとよりsnsはそんな場所ではない)
という、どうでも良い話である。
恋人ができたら、生活は変わる。
けど、日常は劇的には変わらない。
変わった生活が日常になるだけ。
人を感動させることのできる作品を作り出せる人は、他人の感動のスイッチを押せる能力を持っている人。
感動のスイッチを押すということは、日常を生きていて誰もが持つ共通項が与えた感情を引き出すということ。
普遍的で不変的な日常でも、何かにつまずいて、それを蹴り飛ばして他人にぶつけられる脚力を持っていること。
羨ましい限りだ。
俺は仙台出身で、震災から少し経ったあと、その時はまだ生きていた爺ちゃんに会うために仙台に行った。
ガソリンスタンドはどこも閉まっていて、橋は無くなっていて、浸水の爪痕が残っていた。
そして、俺の中で一番強烈だったのは、瓦が散乱していた街を見た時の「本当に地震はあったんだ」という感想。
でも、それは今はもう、そんなことがあって、みんな忘れないようにテレビで取り上げているんだっていう日常になっている。
震災を取り上げた番組や、歌なんかは感動を狙っているのではないかと思われがちだし、感動を狙うということは人の興味を惹こうということ。
もちろん、ただ、作品にしたかったという人も沢山いる。
仮に狙っていたとして、それの何が悪いのだろうという気持ちと、それは嫌だという気持ちがある。
どっちつかずの俺は多分、どこにも行けないんだろうなとも思う。
体調は良くなった。
どこかに行こう。
地位や立場というのは、持つだけで発言に力を持つことがある。
頑張って欲しいというだけで人の心に火をつけられるのは、それはもう素晴らしい能力だけど。焚きつけたのなら消える最後まで責任を持って欲しい。
気にかけるだけでもいいからさ。
以下、近状。
アダルトビデオをスマートフォンで買い、視聴できる今の時代。
全てが指先だけで完結するじゃないか、嗚呼、素晴らしき性生活。
欲しいものをお気に入りに入れておいて、後で精査してから買おうと思っていたのに、入ってたのはカーゴの中でした。
間違えた指先、止まらない性欲。
一度で二十作品くらいのアダルトビデオを買う羽目に。
ハメ?